うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

不惑だわっしょい

年が明けてから誕生日あたりまで。
毎年この時期はなんとなく心の調子が悪い。
とくに前の誕生日からは、40歳を迎えるための準備に苦しんできた一年だったように思う。
コロナ禍もあって好きなことから物理的に分断されちゃったしね。しんどかったです。

大台に乗ったら解放されるのか、それともあきらめの境地に到れるのか。べつに何も変わらないのか。
どちらにしろここを機にもうやめようと決めていた。自分自身と、自分の人生をしんどがるのは。
区切りにするのだ。めでたい区切りだ。
なんせ不惑だ。もう迷わないのだ。
そう決めた。

ふりかえれば普通というよくわからん概念にとらわれつづけてきた半生だった。
おもに就職、恋愛、結婚、出産。
食べていくために仕事へは行っているけど、本当にそれだけだからぜんぜん立派じゃない。
田舎の家を継げなかった。所帯を持てなかった。母に孫を抱かせてやれなかった。父を赦せなかった。
特別なただひとりを愛することなく、選ばれることもなく、子を産むこともなく、わたしは独りでいる。
若いころに好きで好きでたまらなかった人はわたしをさほど想ってはくれなかったから結局お別れしたし、わたしを好きだと言ってくれた人のことはさほど好き返すことができなかった。あべこべだ。
わたしは恥ずかしかった。こんな自分自身と、自分の人生が。
好きな仕事をしている人に、恋をしている人に、愛のはてに結ばれた人に、人の親となった人に、ずっと恥ずかしいと思いながら、心を隠して卑屈に生きてきた。
普通になれなかったと自分を責めながら。

迷わないなんて嘘だ。
決意したところで悩みが消えるわけじゃない。
でも、もう自分の生きてきたこれまでに納得をする。
わたし自身が、何がなんでも恋愛をして結婚して子どもを産んで家庭を持つことを切に望んでいるわけではないのだから。
それが人として普通だと思い込んできたから、普通の幸せを心から望んでいない自分が異端に思えて恥ずかしかっただけだ。
誰に対して? 世間に対して。
世間って誰? そういえば、誰だろう。
普通って何? そういえば、何だろう。
普通になりたい? 自分で納得がいくなら、かたちにはこだわらない。
いま納得がいってる? ただ来た道なだけ。でも、なるようになっていま生きてる。
一度捨てようとした人生を、何とか拾って生きてる。
なんだ、もう、充分じゃないか。

わたしはこれからも自分の人生を生きていく。悩んでもいくだろう。
日々仕事へ行って、いくばくか稼いで暮らして、つましくも好きなことをやっていきながら。
おいしいものを食べて、行きたいところへ行って、好きな格好をして、したいことをして、かかわりたい人とかかわっていく。
恋はないが、いろんなかたちの愛はある。充分だ。
わたしの幸せはわたし自身がわかっていればいい。
普通じゃなくてもいいし、特別じゃなくてもいい。
何者でなくてもいいから、わたしでいたい。