うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

体脂肪率22。これでいいのだ

健康診断へ行ってきた。
身長158センチ体重56キロ。コロナ禍のステイホーム生活でもほぼ変わりなく。
標準体重の範囲内。
美容体重なんてものに乗ったことは生涯一度もなく、よくいえば健康的だけど「小太りやな~」と思いながらずっと生きてきた。
コンプレックスでもあった。

そんな気持ちとは裏腹に、若い頃からこの数字でぴったり安定していた。
一度だけ心を病む寸前になって10キロ以上激太りしたことがあったものの、心の平穏をとりもどすとともに体型もぴったり元にもどった。
若い娘らしく恋愛をしていたときは「さすがに痩せねば」とダイエットをしたし、結果が出たこともあった。
あと仕事の疲労なんかでやつれたこともあった。
そうしていつもより痩せているときは、きまってカリカリイライラしていた。
逆に太るのは、ストレスがたまって過食気味になったとき。
いつもの数字からはみでると心と体のバランスがとれなくなるのだ。
だから158,56,22がわたしの黄金律なんだろう。

それでもあきらめがつかなかった近年までは、肉々しいのは骨格タイプのせいと言い聞かせている時期もあった。
「骨格ストレートさんがいちばんきれいな姿は裸なんですよ~」と診断してくれたアナリストさんは言ってたっけ。
(ハダカかぁ~、ちゃんと痩せとったらそうなんやろな、痩せとったら。ちゃんと…)となぜか一瞬後ろめたい気持ちになったのだった。
わたしが人前で服を脱ぐのは、銭湯か温泉か健康診断のときくらい。
もう水着ではしゃいだり、新たにパートナーを得てベッドをともにすることもおそらくないだろう。
う~ん、ないかもしれない、あるかもしれない、なんともいえない。
「この人のためにきれいになりたい」と思える相手ともしかしたら出会うかもしれない。
が、いずれにせよ昔のように無理はしない。
なにより人の体を笑ったり、けなしたり、品定めしたり、痩せを強要するような相手とは相容れないから、やっぱりもうないのかもしれない。
もちろんみんながみんなそうではないけれど。

だからほんとに最近、痩せへの強迫観念とはおさらばした。
焦りも自己嫌悪も自然に消えていった。
よしんばきれいになったとて、カリカリイライラするのは自分も周りもハッピーじゃない。
痩せときれいは必ずしも直結しないのだ。
わたしは自分を「小太りやな~」と苦々しく思いながら生きてきたけど、自分がそう思うというだけの話であって、それを他人や普通という型枠からジャッジされるいわれははじめからなかった。
近年は「自分の体を愛そう」というボディポジティブ、「愛せなくてもいいんだよ」というボディニュートラルが浸透してきているようで、「ありのままは愛せへんけどこれで楽しく生きてるしええやんけ」と納得できるようになったので、わたしは後者よりの考え。
最初からそれでよかったんだね、それで。

40になって、やっと“そういうところ”から自然に降りられた。
いまは自分のために心と体を維持している。
ダイエットじゃなくストレッチをしている。
いつも、ぜったい、毎日じゃなく、できるとき、したいときに。
こりがほぐれて気持ちいいのと、翌日のパフォーマンスがあがるから。
運動は、毎週末の競馬場通いという名のウォーキングができなくなってからうんと減ってしまった。
毎日の自転車通勤往復1時間をもうちょっと楽しくしたい。クロスバイクの導入を考えている。