うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

食べる、暮らす、日記書く

ちょっと早いお花見をしてきた。先週のはなし。
風を感じ、鳥の声を聴きながら、青空の下で食べるドーナツは最高。

 

梅が咲きはじめ。いまはもっと咲いてるはず。梅は香るから好き。

 

ほんとだもん! カワセミいたもん!!

寄り道する予定をしていなかったからコンパクトカメラは留守番中。
でも機材持ってきちゃうと撮るのが目的になってしまうから、ゆっくりしたいならスマホだけがいい。
カワセミの姿はおさめられなかったけど、わたしの目と心にはあざやかに焼きついているんだし。
自然を楽しむってこういうことかと最近思う。
そのときそのときで自分が何かを感じで、何かを覚えていればいい。たとえそのうち忘れるとしても。生きるってそういうことなのかもしれない。

 

新しい生活リズムができつつある。
いま通っている職場は、お昼休みに帰宅できるくらいの距離にある。そういう場所を選んだ。
いったん家に帰ることでインターバルができる。
午前の部、午後の部のあいだが仕切られていい感じ。
ずっと職場にいつづけるのはもともと好きじゃなかった。
暇にまかせて無意味にスマホを触っているのも、人の話に相槌を打つのも、周りの空気に合わせて小さくなっているのも、ぜんぶ苦手でストレスの原因になっていた。
ご飯を食べるときにそういうのから切り離されて、ひとりになれる時間がありがたい。
家に帰ればあったかいお茶でお米が食べられる。これはかなり大きい。
食堂でラップおにぎりだけ食べてると「それだけ? 足りないよ?」「お腹すかない?」「お弁当作らないの?」「給食頼めばいいのに」ってぜったい言われるんだ。親切心で。ささいなことだけど、ありがたいことだけど、それがかえってしんどくて。
でも家でなら、おかずなしでふりかけやお茶漬けで食べても誰にも何にも恥ずかしくない。申し訳なくない。
おかげでいまのところ体調がいい。しんどい気持ちにもなっていない。
なんとかがんばれそうかな。なんとかね。

この週末は弟がカレーを作ってくれるというので、わたしはシャトレーゼでプリンを買って帰った。卵の味がしっかりするの。
カレーばんざい。カレーは大好物。
ゆえにカレーはわたし担当みたいになっていたのだけど、そのカレーを人が作ってくれるなんて嬉しすぎる。
自分が作ったカレーって、おいしいのかそうでもないのかいまいちよくわからない。人が作ったらあんなにもおいしいのに。
わたしはカレーを食べるのが好きなだけで、カレーを作るのがうまいわけじゃない。でもそれでいいのだ。
これって趣味にも通じるはなしだよなあ。

日曜日の晩は大河ドラマを観ながら家族で食べる。
ささやかではあるけれど、ひとりでもみんなでも、おいしいものを食べると幸せを感じる。
同居人の老いや疲れを受け入れがたいとか、自分ひとりの時間も欲しいとか、家事分担に偏りがあるとか、このごろ家族のかたちがちょっと重たいこともあるのだけど、やっぱり居心地がいいのはここ。
歳とったわたしたちがこれからも一緒に暮らすために考えなければならないこと、変わらなければならないところ、理解し赦しあわなければならないこと。
きっとたくさんある。
ここ数年でそれぞれが変わりはじめて、問題や課題が見えはじめてきたのかな。行く末ともいうかな。
難しいことだと思う。意思を持つ大人が寄り合って生活するのは。家族だからよけいに。
うまくやっていけるように、良いかたちに落とし込んでいけたらいいなあと思う。
家族だからこそ。