うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

ひっそりと歳をとった

ツイッターでは黙っていた。
風船が飛ぶんだもん。派手に。あれ苦手だ。
おめでとうありがとうのやりとりをする元気がなかった。
家族が祝ってくれた。
チューハイを飲んで揚げものを食べた。
そんな家族とは週末に気まずくなった。
わたしの仕事がうまくいかなくて、わたしが心を閉ざしてしまったから。
話しができればよかったのだけど、こんな時に、こんな話しをちゃんとする自信がなかった。
しんどくて逃げた。傷つけてしまった。

ところで某所の配達員さんがシニアさんで、わりと踏み込んでくるタイプの人なんですね。
下の名前+ちゃんで呼ばれたり、荷物の内容を言及されたり、いでたちを見て家事してたの?みたいな。
それが100%の善意で、顔なじみゆえのちょっと密な営業トークで、ある年齢以上のおじさんのノリだと分かってても嫌だな、怖いな、セクハラじゃない?なんて感じてしまうので、あ〜だからわたしは生きづらいんだよなあと思い知らされた次第。
職場のあれこれもだけど。こういうのを平気になりたいのだけど、人と人のやりとりって、どうしても何かを感じてしまう。
無理か大丈夫か。
ごめん、わたしは無理だ。
と感じたら心が閉じちゃうんですね。もう触らないでほしい。ほんとに無理だから。
でも生活だから避けるわけにはいかない。
それでしんどくなっちゃう。
わたしが神経質だから?流せないわたしが悪い?どうして平気になれない?
悪気のない人に嫌だと伝えて気まずくなったり、不利になったり、非難されたりするの、怖いじゃん。
自分が流せたら何も起こらないんだから。
こういうのぜんぜん気にしない人にとってはどうってことないやりとりなんだろうし。
でも無理だ。心が嫌だと言っている。
どうしてわたしにはできないんだろう。
これが生きるってことなら、生きるのがしんどい。

なんだかそういうことばっかり考えてて、やっぱり自分の性質と生きづらさの問題なんだわ〜と諦めの境地に入った四十路の二年目突入週間だった。
ツイッターに登録して13年になるらしいですよ。
13年も経ったらそりゃあ変わるよ。
自分も、周りの人も、趣味界隈も。ツイッターも。
でもわたしが傷つけた人も、傷つけられた人も、関係性が変わってしまった人も、ずっとそこに見えて、いる。
それって心にとってよろしくないなあ、なんて思いながら書いている。
それだけは変わらないのだ。