うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

いちばん、ちょうどいい「好き」

ここ数年のあいだで、野球も自転車もますます好きになった。
だけどいまは前みたいに深くかかわろうとか、くわしく知っていこうとはしていない。
観ていて気になったことをそのつど調べたりはするし、それなりに好きな選手がいたり、いいなと思うチームもあったりする。
でも昔みたいにファンを自称しなくなった。つぶやいたり書いたりもあんまりしていない。
好きなものはただ好きとだけ想っていたい。
そんなことを思いながら、何かにのめり込むのをしばらくお休み中だ。

踏み込みすぎると知りすぎてしまう。知りすぎると何かしら嫌な部分も見えてくる。見えてくると多少なりとも幻滅してしまう。
スポーツの裏舞台って大なり小なりいろいろある。できれば知りたくなかった、見たくなかったものたちが。
それも含めての真実なんだろうけど、なんとなく好きで楽しいなと感じているものたちと、真実の深淵が見えるところまで真っ正面から向きあわなくても別にいいんじゃないかなと近ごろは思うようになった。
なんとなく好きで楽しいな、と感じるところらへんが、たぶんいちばんちょうどいい。
それ以上進めばもっとディープなおもしろさを味わえるのは知っている。だけどそれは諸刃の剣でもある。
好きなものが楽しくなくなるのは、いつだって深みにはまって知りすぎたときだ。もはや自分と趣味とを切り離せなくなったときだ。
競馬とは深くかかわりすぎて、多くを知りすぎて、出会ったころのように「なんとなく好きで楽しいな」という気持ちにはもう戻れなくなってしまった。
後悔はしていない。まちがったとも思っていない。幸せな年月だった。
愛しつづけるために距離を置いただけ。

何が正解なんだろう?
どうつきあえばいいんだろう?
好きなものたちと。好きだという気持ちと。
深いのが誠実なのか、浅いのは軽薄なのか。そんなこと、いつ誰が決めたんだろう。
趣味だからさ。義務じゃないからさ。
楽しくて、好きでいられて、苦しくないのがいちばんいいに決まっている。
ちょうどいい距離感は人によってちがう。そのときの暮らしや心のありようによっても変わってくる。
いまの生活に追われ暮らしに疲れたわたしは好きなものをなんとなく好きなだけでとどめているけれど、いつか気力と余裕が戻ってきたらふたたび競馬場へ通っているかもしれない。
甲子園でメガホンを振っているかもしれないし、自らスポーツバイクに乗っているかもしれない。
未来のことはいつも何もわからない。いまのことしかわからない。
せめて、いまがわからなくならないように。
いま、いちばん好きで楽しいように、素の気持ちでありたい。