うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

宝石の国という楽園

読みそびれた漫画が長編大作の域に達してしまい、もはや手をつけられなくなって数年。
「いつかよむ」ばかりが増えていく今日このごろ。
宝石の国も「いつかよむ」タイトルのひとつだった。
えっぜんぶ無料で読んでいいんですか本当に。
(ゴールデンカムイも読めたし、近年はいい流れがきている)

とにかく読みづらかった。はじめのはじめは。
キャラクターの見分けがつきにくい。だから戦闘シーンでも何が起こってるのかよくわからない。
目も脳も、世界観に慣れるのには訓練が必要。
「画が難しすぎる…慣れるまえにギブアップかもしれん…」唸りながら序盤を読みすすめてたのが、9話あたりから手が止まらなくなった。
気がつけば3分の1以上も一気にむさぼり読んでいた。
ラピスの頭がついたとこらへんまで(主人公の頭が別人のそれとそっくりすげ変わるのは、なぜかどこかで知っていた)。
唯一無二のタッチが生みだす、独特で不穏な世界観。
なんだか全体的に不安を覚えるような、ぞわっとする画なんだ。それでいて美しい。
月人も、宝石たちもなんか怖い。
死という概念はないのだけど、だから淡々としていて、なお怖い。
金剛先生も、金剛先生を疑いながらも愛と言って盲信してるみんなもなんか怖い。
にんげんのようでにんげんでないものたちと、あの世界の空気ぜんぶが怖い。
怖いというか不気味だ。
怖くて不気味だけど美しい。
先を読まずにはいられなくなる。
怖いもの見たさなのか、破壊と停滞の美しさに惹かれていたのか。

フォスフォフィライトは関西でいうところの「ごまめ」だった。
ごまめって方言なのね。知らんかった。
年少の子も年長さんと楽しく一緒に遊べる優しいシステムなのだよ、ごまめ。
昔は友だちの弟妹も混ぜて子守りがてら外で一緒に遊んだりしたんだ。今もそうなのかは知らん。
社会の中にあってルールが反映されない透明な存在。それが「ごまめ」。
勇気とやる気だけはあるフォスはみんなのためにがんばるんだけど、結果的に足を引っ張っていろんなことが起こってしまう。
自分自身が欠けたり傷ついたり、仲間を傷つけたり失ったり。
脆くて弱くてなんにもできないけど、フォスは宝石として、みんなといる。いた。
しかし年長の宝石たちは優しいようで、優しくなかった。
優しくないというより…
無関心…
無関心だから、叱らないし期待しないし無責任に優しくできる。
頼り、感謝しながらも捨て置ける。
年少さんは成長したらごまめじゃなくなるけど、フォスは強く賢くなっても、いつまでも遠巻きに、大目に見られている。
しょうがないよね〜だってあの子が勝手に〜そこまでしろとは言ってないのに〜、くらいの温度差で。
フォスがみんなを想うほどには、みんなはフォスのことを想っていなかったのである。
フォスの優しさは結果的に独善となってしまった。
そして止まれなくなった。取り返しもつかなくなった。
あのあとなにがどうなったらフォスは救われるのかさっぱりわからない。救われるのかすらわからない。
わからないからこそ惹かれる。

宝石の国、真に描きたいテーマがストーリーにあるタイプのマンガで、キャラに思い入れを抱かせるようには描いてないんだろうなぁというのは感じた。
だから救いがなく悲惨な状況ではあるんだけど、地獄地獄いわれてるほどしんどくもなく、ぐいぐい読めた。
ひどいはなしやでしかし、と苦虫を噛みつぶしながらではあるけど。
短期間で一気に読破するのと、リアルタイムで感情移入しながらゆっくりゆっくり読むのとではぜんぜん感覚違うだろうけど。
それにしても、こんなに好きなキャラが見当たらない漫画も珍しい。
なんならみんなほんのり嫌いになったまである。(褒め言葉だよ!)
でもそういうもやもやした形にならない感想を、わかりやすくキャッチーなフレーズに押し込めるのはなんだか違う気がするので、地獄でなくあえて楽園とさせていただいた。
フォスにとっても、地上も世界も生も楽園になってほしいよ、わたしは。