うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

わたしがどうしたいか、だ

今夏は帰省をとりやめた。
昨年からずっと心と体の調子を崩していて、自分自身がちゃんとしてなくって親族に合わせる顔がない。
とくに報告できることもないので、わざわざ帰らなくてもいいかなと思った。
田舎にしては珍しく無粋なことを言う人はひとりもいないんだけど、自分が自分に恥ずかしいので、帰る気力をふりしぼれなかった。
祖父母のもとへの帰省は、楽しく嬉しい反面、子どものころから気の重い決めごとでもあった。

怪我と病気がきっかけで祖母はホームに入った。
折しもコロナ禍で長らく会えなくなった。
数年経ってやっと面会できたときには、長年こちらから脚繁く帰って世話を焼いてきた母のことを、祖母はまったく覚えていなかった。
それを母の口から訊いて、なんだかわたしも心が折れてしまったところはある。
母でさえ忘れられたのにわたしが帰る意味あるのかな、なんて思ってしまったのだ。
これが老い、これが現実。
頭では理解できるのに、「なんて薄情な」と内心思ってしまった。
こんなことは口が裂けても言えない。だからこんなところで書いている。
ほんとうに薄情なのは、帰ることに毎回気を重くしているわたしなのだから。
思い起こせば祖父も認知症を患って、母は休職してまで帰省をして長期的に世話をした。
その母に祖父はたくさんひどいことを言ったり、暴れたりして最期まで手を煩わせた。
そのことをどうしても思い出してしまう。
祖母は祖父のように暴れたり暴言を吐いたりはしないが、それでも母や伯父たちのことを、わが子のことを忘れてしまった。
にんげんってなんなのだろう。
老いと病で記憶もその人らしさもなくなって、肉体の器だけになったら、それはその人と呼べるんだろうか。
う〜ん、でも、こちらが覚えてるから、あなたはあなただと呼べるのか。
だったら、おばあちゃんはずっとおばあちゃんだね。
家を離れてホームで暮らす祖母にとってはぜんぶ覚えていて毎日淋しく泣き暮らすよりも、ぜんぶ忘れて「なんだかわからないけど優しい人たちによくしてもらってる」ふうに暮らすほうがよいのかもしれない。
だから、そこは唯一の救いかもしれない。

なんのかんのいいながら、わたしが今の祖母と対峙する勇気が出ないってだけの話なのだろう。とんでもない不孝者だなあ。
帰るべきなんだろう。会うべきなんだろう。なにをおいても。
でも母も伯父たちも、なにも強制はしない。
ほんとうに優しくていい人たちだと思う。祖父も祖母もとても優しい人だった。薄情なわたしとは大違いだ。
だから、恥ずかしいのだ。顔向けができないのだ。
でも、腹を括って帰るよ。
きっとどうすべきかじゃなくって、わたしがどうしたいか、だから。