うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

コーヒーを淹れて、ヨガをする生活

このところまた、死んでないだけの暮らしに逆戻りしていた。
職場でうまくいかないとすぐに心が弱る。
わたしが潔癖すぎるだけなのか、単にだめなやつなだけなのか。
ちょっとほんとうに、そこまでして生きていたくないわねえ、という感じになってきたのでいったん仕切り直すことにした。
去るときに、上の人にものすごく謝られたし、直属の上司も働きぶりを認めてくれて気にかけてくれていたという話もしてくれたのだけど、ありがたいのと恐縮するのと同時にじゃあなんでこんなことになったのか、と思わないでもなかった。
ハラスメントをゆるせなかったし、見て見ぬふりもできなかった。
なにより自分自身が傷ついてしまったのでもう限界だった。無理だった。合わないものは合わない。
限界を越える前に逃げられなかったのが反省点。
まあ結果としていま生きてるからいいや。

心が弱ると過食まっしぐらになる。
ここ数ヶ月で5キロ増えた。お腹のお肉がインナーにだらしなく乗っかる。
嫌だなあと感じながらも、心の隙間を食べもので埋めつづけた。
食べてるあいだは何も考えなくてよくなるから楽だ。これってある意味自傷ですね。
荒んだ生を持てあましながらも何とか次への目処がたったところで、ひさしぶりにコーヒーを淹れてみた。
それどころじゃなくて最近はハンドドリップをさぼっていたのだ。
先月に挽いてもらった豆は飲みごろを過ぎてちょっと酸っぱくなっていた。
それでも香ばしい香りに、体が生き返ってようやく心が容れ物の中に帰ってきたような気持ちになれた。

次は適度な運動だ。
先月、ヨガなるものを知った。
女性は人生で一度はヨガを通る説、あると思います。
ふと思いたって某ホットヨガの無料体験へ行ってきて、まんまと気に入った。
勧誘は何とかかわしてきた。素敵なインストラクターに教えてもらえるジム通いは魅力的ではあったけれど、職場以外に通う場所と人間関係ができてしまうのはやっぱり億劫だった。
あとわたしは学生のころの部活で柔軟性と体幹を養う特殊なスポーツをやっていたので、実際にやってみて「これは自分ひとりで会得できるな」と確信が持てたのもある。いまは見る影もなくめちゃくちゃ体硬いんだけど。とくに股関節。
以来、毎日小一時間ほど動画を見ながら自宅でつづけてたものの、精神が弱ってるあいだの一週間くらいはちょっとさぼってしまった。
そのあいだめちゃくちゃ体が重たくなったから効果は確かにあったと思われる。
痩せるためというよりも、心と体をととのえるのと、マイペースでかまわないのがとても気に入った。
ヨガはがんばらなくてもいい。わたしはそう解釈した。
無理しなくていいし、できるところまで、気持ちのいいところまででいい。
しんどくならなくてもいいし、躍起になって成果を求めなくてもいい。
ただ背筋をまっすぐに伸ばして、お腹から息をして、ゆがんだ体をニュートラルな状態に戻していく。
体と対話しながら、ていねいな動作のくりかえしの中で心の緊張もほぐしていく。
まさにいまのわたしに必要なことじゃないか。

「がんばらなくてもいい」って難しいんですよね。
人にはそう言えるし思えるんだけど、自分のこととなると、「いや、がんばらなきゃだめでしょ」ってなってしまう。
がんばらないのは難しいけどたまに力を抜くくらいならできるかな、と思えるようになってきたのはコーヒーを淹れるようになったのと、ヨガを知ったのが大きい。
コーヒーは豊かな暮らしの象徴だし、ヨガは荒み疲れきった心と体のままではうまく取り組めない。
入りすぎた力を抜いて、積もりに積もったなにかをリセットする。
こういうささやかな積み重ねが、いまある暮らしを変えることにもつながるのかも知らない。