うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

推し文化に馴染めなかった

「推し」という言葉があんまり好きじゃない。
いつのまにやら市民権を得てしまったこの言葉を、わたしは使う気にはなれなかった。
便利だから意図的に書いて使ったことは何回かあるけど、わたしの気持ちじゃないような気がしてしっくりこなかった。
以来できるだけ使わないようにしている。
タグ付けすることで重たくも、軽くもなってしまう気がするから。
わたしには好きな人たちがいる。
競馬で応援している人馬は憧れと応援の対象であって推しではない。推しというのは畏れ多い。
野球だと岩崎優投手が好きなんだけど、彼も好きだというだけで推しではない。推しというほど熱烈な想いではない。
どっちも軽いか重いかになってしまうから、わたしの好きな人たちをそう表現するのは自分の中では適切ではないのだ。

わたしはもともと、人の気持ちだったり、あるいは性質だったりを言葉という型枠にはめて端的に言い表すことが好きじゃない。
人も心も性質も、たった一言の単語では言い表せないくらい複雑で深いものだと思っているから。
言葉という型枠にはめこんでしまうと、なにも解ってないのに解った気になってるみたいで恥ずかしい気持ちになる。
でもSNSが出てきてから、表現やコミュニケーションってそういう感じになっちゃった。
言葉ってもっと豊かなものなのに。人や心ってもっと複雑なものなのに。
簡潔明瞭であることがもてはやされて、うまく言ったらおもしろがられる世の中になっちゃった。
そういう世の中の空気を、「推し」という言葉に感じてしまうから苦手なのかもしれない。
この空気に馴染めなかったから、SNSに魅力を感じなくなっていったのだろう。

わたしは表現をはしょりたくない。簡単なほうへ流れたくない。
だって、そうしたら、わざわざ書く意味がなくなってしまうから。